先日の記事にも紹介した
643ノゲッツー公演「
ヒューマンエラー」を観てきました。

まずもってまとまりのあるわかりやすい舞台でした。
50人も入ればいっぱいになる小さな箱で10人の役者さんが繰り広げる一見普通に見える世界が崩壊してゆく心理劇。
約1時間30分の公演時間に詰め込まれた密度をわかりやすく表現する役者さんたち台本は巧くできています。
普通に感じられていた世界が個々人の秘密に触れたときにガラガラと音を立てて崩れてゆくさま。
そして、そこからの再生の光。
簡潔にまとまっています。
最後のセリフは「人生って楽しいですか?」というもの。
ここで考えなければいけないのは、このセリフ。単純に「それでも」というものを求めたセリフなのか。
それともそれ以上の意味を含めたセリフなのか。
芸術作品は送り手よりも受け手が感じる世界が重要です。
なので上に挙げたセリフも受け手によって千差万別に受け取られるものと考えられます。
「それでも楽しい」「いや、そんなことは」或いは「そんなこと言われてもな。。」などなど
受け手のその時の状況や感情などによって変わることでしょう。
むしろ受け手しだいで変わるべき事柄だと思います。
それでもこの舞台を観た人は「それでも人生は楽しいよ」という想いを抱くように脚本は進みます。
なぜなのかな?と考えてみました。
そもそも舞台ってわかりやすくていいのかな?と。
もちろん難解なだけの舞台がいいわけはありません。
むつかしいことが偉いとされていた時代は終わっています。
ただ、「人生」を述べるときに「楽しい」「楽しくない」の二元論で語りきれるものではありません。
むしろ日常とは「楽しい」「楽しくない」の間をつねに揺れ動く捉え切れないものです。
と仮説を立てた上で脚本を振り返ると、登場人物、エピソードが「記号」として配置されチェスの駒のように場面が動いているのです。
当然わかりやすく、答えもおのずから決まってきてしまいます。
これは現代舞台の特徴なのか、どうなのか。
見たことのあるような人が、見たことのあるようなエピソードを乗り越え、見たことのあるような大団円へと収束する。
ある意味、感動への黄金率に則っている。
そのぶん見たこともないようなカタルシスもなかったのです。
これが現代の舞台の限界なのか?
現代の物語の限界なのか?
推理小説の分野で言われる「パズラー」と呼ばれるジャンルです。
求められる結果に向けて物語が進む。
人生ってそんなにわかりやすく納得できるものなのかな。
脚本・演出のまとまりも巧い。役者の演技も巧い。
ただ、舞台ならではの人間の息遣いが聞こえない。痛みが感じられない。
そのことに尽きるかな。
この舞台は「楽しめる」
ただ、もっと掘り下げて考えることもできるテーマだし、もっと肉付けできるテーマでしたね。
こうして、いろいろ考えられてぼくとしては二度おいしい舞台でした。
素直な人が素直に作った物語。
それをあれこれ考える偏屈者のぼく。
それがこの規模の舞台の醍醐味かな。
posted by rojiuracafe at 22:22|
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