歩くのに疲れたら、カフェに寄ろう。
カフェに入ったら、最初にコーヒーをたのもう。

あとは
音楽に耳を傾けて、
置いてある本をめくって、
そのあとは・・・

そのあとは、思いをめぐらそう。

きのうあったこと、
きょうおきたこと、
あした出会うかもしれないこと。

だいじなひとのこと。

何気なく思いついたことをこのブログに載せたいと思います。







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2016年12月30日

今年もお世話になりました 申年 MONKEYに救われた話

まだ三十日だけれど
本年もたくさんの方に助けられ一年を走り抜けることが出来そうです
個人的に知っている方々にはそれぞれ感謝。

私的に一番の活力になっていたのは
申年幕明けに発表された
THE YELLOWMONKEY再結成のニュース

一報を聞いた時に感じた思いは
まさに奇跡が起きたような驚きでした
生きている間に見ることができるかもしれないと夢を見ているかのようで震えが走りました

THE YELLOWMONKEYを知ったのは1994年 MUSIC TOMATO JAPAN
(TVK)のオープニングにROCKSTARが選ばれ 番組中に
悲しきASIANBOYが放送された時です
当時坊主頭でメイクをキメたボーカルのロビン
エマもヒーセもアニーも
他のバンドにはない存在感を放っていて
すぐさま当時の新譜だったJAGARHARDPAIN
遡って1stの夜行性の蝸牛とプラスティックのブギー
2nd 未公開のエクスペリエンスムービーを購入
すっかりと虜になりました

続けて発売された4th smileがヒットして瞬く間にメジャーバンドの仲間入りを果たし
(当時の意識としてはこんなに売れちゃいけないバンドだったのですが)
その後発表のFOURSEASONSで世界観が広がり
SICKSはまさにひとつの到達点といっていいアルバムでした
このSICKS 初めて聴いた時にイントロの12弦ギターの音色で感動で涙が溢れたことを覚えています

そしてSICKSで確立した世界観を自ら壊し乗り越えようとしたPUNCHDRUNKER
ツアーも含めて死にものぐるいといった作品でした

そのあと外部プロデューサーを導入してシングルを製作し
バンドとして当時のポテンシャルを超えてしまったことを感じさせる儚さと美しさが込められた8を発表
解散と至る道を辿ったTHE YELLOWMONKEY

僕はその過程をCD TV 書籍を通してしか見守っていませんでした
当時の状況はライブ会場に行くことが困難だったのでした

長くなりましたが
1994年から23年間夢見ていた
THE YELLOWMONKEYのライブに行くことが実現した年となりました

記憶に残る幸せな一年になりました

今年 ライブで最後に聴いた曲
悲しきASIANBOY
万感の思いでした



もう解散しないから来年も続くよ

今年一番の感謝は
THE YELLOWMONKEY
に捧げます

posted by あるく人 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶 | 更新情報をチェックする
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