専業ではないユーザーの立場から考察したこと。
デジタル機器とメディアの発達とともに表現形態は変化し、また変化せざるを得ない。
2005年にブログを書き始めた時、デジカメの黎明期でブログでテキストを発信できることが広がり始めていた時期だった。
当初から写真をつけて記事を書いていたがカメラは携帯についていたものだった。
すぐにコンパクトデジカメを使うようになり動画も記録するようになる。
Motionjpegで撮影してDVDにしていた。
動画撮影が面白く感じるようになると携帯できるSD画質のビデオカメラ(Xacty)を使用するようになる。
コンパクトデジカメの画質にものたらなくなりデジタル一眼レフカメラを使用するようになる。
写真共有サイトFlickerも使うようになる。
デジタル写真にものたらなくなると回帰的にフィルムカメラも使うようになる。
その写真もまた写真共有サイトへ。
Youtubeの便利さが知られるようになりじぶんでもUPするようになる。(しばらくはSD画質)
デジカメとフィルムカメラの間をつくようにトイカメラを使うようになる。
デジタル一眼レフカメラでの動画撮影が可能になる(画期的な画質)
YoutubeもHD画質化してHD画質の動画をUPするようになる。
PCの性能が飛躍的にあがりHDビデオの編集も可能になる。
スマートフォンが普及してとった写真を簡単に加工してUPできるようになる。
以上、基本的に時系列での路地裏Cafeの表現のながれを記したのだが
いまの小学生にはこのレベルがスタート地点になるのだ。
専業ではないユーザーが専業者が使っているものと同等の機材を使える時代。
まさにデジタル機器とメディアの進化に目をみはるしかない。
これらのながれに使われているのか使っているのか。それは今はわからない。
ただ、可能性は感じるし、より良い表現ができないか模索中なのだ。
その点では、当然表現方法より表現内容が問われることとなる。
まさに模索中
※
プライベートではデジタル機器やメディアを駆使しているが仕事ではあいかわらず紙媒体が主体で
基本テキストである。
なのでガラケーも手放せない。
業務報告を5分で送信、となるとスマートフォンでは打ち込めないし(移動しながらだから)
検索性ではテキストが優っているからだ。
動画視聴の拘束性が解決されればメッセージを動画プレゼンテーションでやり取りするようになるのかもしれないが、それはまだ明日以降のことだ。
以上、備忘録としての意味合いを持たせてアイデア出しのように記録しておく。
カフェに入ったら、最初にコーヒーをたのもう。
あとは
音楽に耳を傾けて、
置いてある本をめくって、
そのあとは・・・
そのあとは、思いをめぐらそう。
きのうあったこと、
きょうおきたこと、
あした出会うかもしれないこと。
だいじなひとのこと。
何気なく思いついたことをこのブログに載せたいと思います。

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